フ〜〜ッ、さて、何をどのように言えばよいモノか。

昨日の試合、緊張からなのか、日本の動きは前半からずっと悪かった様に感じられました。にも関わらず、最終ラインでは集中力を保った適確なチェックを怠らないなど、ポイントを押さえた守備を展開しており、「調子が悪くとも1-0で勝つ」、そんな今までの日本には見られなかった落ち着きと粘り強さを併せ持った”大人のサッカー”を目の当たりにして、結構やるじゃんと思っていたshunkunだったのです。
だからこそ、この敗戦は残念でしょうがありません。
巷では、”決めるところで決めなかった”ということが敗戦の原因としてしばしば取り上げられていますが、それは違うと思います。いわゆる決定力不足的なことは今に始まったことではないのでここで取り上げる問題ではないですし、そもそも決定的チャンス自体もそれほどなかったのではないでしょうか。本当に決定的だったのは福西のシュートぐらいですよね。シュート数もオーストラリアの20(うち枠内12)に比べて、日本は6(うち枠内2)ですし、どちらのチームが優勢であったかは一目瞭然です。

敗戦の原因、それは柳沢と小野との交代に尽きます。この交代が全てを変えたと思います。
まず第一に、今までFWを下げてMFを入れたケースをあまり見たことがありません。私の知る限り、あの様な劣勢下では、FWを交代して前線からのプレスを再活性化して乗り切る、というのがジーコのセオリーだったと思うのですが、、、なぜ柳沢に代えて大黒を投入しなかったのでしょうか。あまりやっていないことを本番の本番で実践するのは、どうにもアグリーしかねます。
また、これを差し引いたとしても、交代するのは小野ではない筈。ジーコとしては、小野を投入することによりボールポゼッションをアップさせてリズムを取り戻す、そしてあわよくばもう1点、そういう意図であったと推測できます。。。が、あの策士ヒディングの5トップが迫りくる状況の下、残り10分を乗り切ってなんとか勝ち切るために行うべきことは、ボールポゼッションの確保ではなく、相手のパスの出所を寸断する様な中盤のダイナミックなプレッシングでした。中盤のアクティブなプレッシングで相手のパスの出所を封じ込め、5トップに集まるボールを早いタイミングではじき返し、日本のディフェンスの最終ラインを押し上げる時間を確保する、その様なプレーコンテンツが必要でした。
そう考えると、投入すべきは、圧倒的なボールキープ力と才能をベースとした魔法のパスを持つ小野ではなく、ボール奪取勝負イメージの描写における「量と質」が格段に優れている遠藤もしくは稲本であるべきでした。
あの時ジーコが大黒を投入していたら、、、遠藤を投入していたら、、、もちろん、サッカーにタラレバはないのですが、やはりこの采配が大きく悔やまれます。

次回のクロアチア戦では、この残念な結果はすっきりと忘れ、オーストラリア戦の途中までのような大人のサッカーを再度展開して欲しいと思います。エゴイスティックな勝負師がいない日本は、やはり全員のクリエイティブなムダ走りの積み重ね、献身的な汗かきプレーを戦術のバックボーンとして戦うしかありません。是非とも、この日本らしさを生かして戦ってほしいものです。

ふー、駄文乱文失礼。
(ちなみにジーコのチームマネジメント云々については、今ここで持ち出してもしょうがないことなので、言及しません。)